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宮城県仙台市 石川行政書士事務所
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【ある行政書士の単独発言】 ◆障害児を普通学校へ・全国連絡会会報2013/12月号 「憲法改悪の動きに対して考えること」 石川 雅之 1.憲法改悪の動きと自民党憲法改正草案 今、憲法改悪の動きが進んでいます。論じるべきことが多々ある中、国家権力が市民の権利を侵害しないように権力を縛ることこそが憲法の役割だということを、議論の前提として理解しておきたいと思います。自民党草案は、国家権力ではなく市民を拘束するものへと、憲法の根本を180度転換させようとしているからです。 実は、昨年4月に発表された自民党草案を見るまでは、もっぱら9条が憲法改悪の焦点と私は考えていました。 しかし、この草案が示すものは、決してそれだけではありません。前文からして「日本国は…国民統合の象徴である天皇を戴く国家」とか「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」などと記述され、第1条では「天皇は日本の元首」、第3条2項では「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」とされています。また、後述する基本的人権への制限等を見れば、攻撃対象は9条のみにとどまらず、憲法全体を覆す「壊憲」であることがわかります。戦争をする国家は、市民のあらゆる自由を奪い、権力者に従順に従う「国民」を必要とすることが、そこに示されています。 ここで想起すべきは、教育の憲法たる教育基本法が7年前に改悪されたことです(このときも安倍政権でした)。この改悪は、能力主義を強めるとともに、「愛国心」を子どもたちに押し付け、子どもの心を統制・支配していこうという内容でした。こうして教育基本法で先取りしたことを、今度は憲法で完成させようというのです。「国のかたち」を変え、「国民」のありようも作り変える、換言すれば、「(少)国民」と言う鋳型の中に子どもたちを押し込め整形していくことが意図されています。「心のノート」が子どもたちに配られ、歴史を歪曲する教科書が普及されようとしているのも、この一環と言えます。 そして、障害児・者もこの外には置かないことを宣言したのが、自民党草案が14条(法の下の平等)に「障害の有無」を含めたことの意味ではないかと思えてなりません。「障害者も、残存能力を最大限活用して戦争に協力せよ」というのが、自民党の意志だと見るべきなのです。 2.9条の改悪について もちろん、9条の改定も大問題です。 現憲法9条が定めているのは「戦争はしない、軍隊は持たない、戦争する権利も認めない」ということです。しかし、自民党草案ではこの9条を改定して国防軍を持つとされています。それでは、国防軍とは何でしょうか。 私はパレスチナの平和を求める活動をしていて、現地を何度か訪問しています。そこでいつも目にしてきたのが「イスラエル国防軍」です。この国防軍は、パレスチナ自治区にたえず侵攻して虐殺行為を繰り返してきました。また、建国以来、世界のあちこちで戦争をし続けてきたアメリカ軍を統括しているのも「国防総省」です。このように、国防軍とは侵略戦争を行う軍隊そのものなのです。そもそも、自ら「侵略」と名乗って戦争する国などなく、戦争は常に「自衛」「国防」の名の下に行われてきました。 結局、9条を変えて国防軍を持つということは、「軍隊を持って戦争をする」ことを高らかに宣言することに他ならないのです。報道写真家として数々の戦場を撮影されてきた石川文洋氏(沖縄出身)も「軍隊は戦争の抑止とはならず、軍隊は民間人を守らず、軍隊は民間人を犠牲にする」と、軍隊の本質を短い言葉で喝破しています。 9条が改悪されて国防軍ができたら、現在、政府が目指している集団的自衛権の行使と相まって、米軍とともに世界中で戦争ができるようになってしまいます。戦争が差別の上で行われ、さらに差別を生み出すものであることも、私たちは忘れてはなりません。 3.基本的人権への制限 次に、基本的人権への制限について、先月号で千田好夫さんがお書きになっている点をもう少し詳しく論じておきたいと思います。 現憲法では、基本的人権が制約されるのは「公共の福祉」に反する場合だと規定されています。この「公共の福祉」とは、公権力の都合によって人権を制限できるという意味ではなく、市民と市民との間の人権が衝突した場合にそれを調整するという意味での制約だと解釈するのが通説です。これに対し、自民党草案では「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」という言葉に置き換えられています。また、今までは制限規定がなかった「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」に対しても、「公益及び公の秩序」による制限が明文化されています(草案21条2項)。 私が自民党草案を一読した時、最も衝撃を受けたのが、これらの人権制限でした。これは、基本的人権を明治憲法なみの「法律の留保つき」のものに逆行させてしまうものです。「公益及び公の秩序」の名において、権力者にとって不都合な、たとえば国家権力を批判する言論や集会等が規制されうることになります。言いたいことを言い、書きたいことを書く、そんな私たちの精神と表現の自由が、脅かされていくのです。 4.憲法を我々自身のものに! 私たちがなすべきは、こうした憲法の改悪を許さず、障害児・者との共生・共育の実現のために、憲法を有効に活用していくことです。実際、憲法の理念は、いまだ実現されているとは言い難い現状にあります。 たとえば、憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とされており、国民の最低限度の生活を保障することを国の義務として、生活保護の制度が定められています。 ところが、生活保護バッシングの中、保護基準以下の経済状況にある人たちの約8割が受給せずに我慢しています。また、貧困のためにガスや電気を止められて食料も買えずに役所へ行ったものの、保護費削減を目的とする「水際作戦」によって生活保護の申請書さえもらえなかった人が、餓死・病死・自殺する事例が、この間何件も続きました。 このように、憲法の理念は、いまだ実現されていません。 そして、憲法を生かすも殺すも、私たち次第なのです。 成年後見制度を利用する人が選挙権を剥奪されていた問題で、当事者がこれを憲法違反として立ち上がった結果、裁判で勝訴し法律の改正を実現しました。また、婚外子の相続分が嫡出子の半分とされている民法の規定を差別と訴えた人も、ついに違憲判決を勝ち取りました。このように、憲法の理想を実現できるかどうかは、私たちの市民の行動にかかっています。 だからこそ、私たちが進める活動の一つ一つが、障害児・者の権利を強め、憲法的価値と社会的平等を実現するものであると、私は信じています。自民党草案のような改定などなくとも、「共に育ち生きる」社会の実現に向けた行動こそが、障害児・者が差別されない社会を実現するのです。 憲法改悪を止めるとともに、障害者差別反対の声を広げ、憲法を私たち自身のものにしていきましょう。 【ある行政書士の単独発言】トップページへ |