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【ある行政書士の単独発言】


◆週刊金曜日12/5/18 投稿欄

 「黙祷は何のため?」  
                       石川 雅之

 東日本大震災から一年が経った三月十一日、政府主催の集会でも、また私が参加した市民集会でも、震災の発生した時間に黙祷が行われた。

 私は以前から、このように人が集まる場で行われる黙祷に違和感があったが、今回はより強くそれを感じた。

 黙祷とは、亡くなった人を思い、偲び、冥福を祈る行為だ。宮城に住む私は震災で知人を失っており、彼を始め犠牲者を悼む気持ちは当然ある。
しかし、そうした感情は、個人個人の内面にあり、強弱も異なれば、悼み方も人それぞれで異なって当然だ。いつ、どれだけの時間、いかなる形で故人を偲び祈ろうと、あるいは祈るまいと、それは個々の自由に委ねられるべきことがらである。

 にもかかわらず、黙祷は、一斉に起立し、目を閉じて一分間行うよう強いられる。これはある意味でパフォーマンスだが、集団で行うことに意味があるとも思えない。

 むしろ、一定の作法での黙祷を強いるのは、誰にも反論できない「犠牲者の冥福を祈る」という名目で、個々に異なる内面のありようを統制するものではないだろうか。

 実際に、被災地に知人もない人に「日本人なら黙祷して祈るべき」と要求しても意味がないし、そんなことで誰かが救われるわけではない。にもかかわらず「死者を悼むこと」を国家や他者が強いるならば、それは人の心の中に土足で踏み入るのに等しい。

 集会のプログラムの一コマとして行われる黙祷は、犠牲者とその苦しみを忘れないこと、真にその死を悼むことと、どこかでずれている。そう思えてならない。

(これは、誌面に掲載される前の原文です)


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